小人閑居して不善をなすという諺があるが、小人権力を持って不善をなすと言ってもいい。百田と書いてモモタと読むかと思ったらヒャクタだった。全く知らない人物だったので昨日の記事では間違えてしまった。でも、モモタローで丁度いいかなと思う。桃太郎は漫画チックなイメージだが、今回のモモタローも漫画チックだ。安倍もどことなく桃太郎のような感じがある。安倍を桃太郎の姿にしたらピッタリだ。鬼ヶ島の鬼は尖閣の中国軍か南沙諸島の中国軍に重なる。桃太郎安倍を作家のモモタローがよいしょしたつもりが、反対に困らせてしまった。
モモタローは民主主義の根幹にあるマスコミの報道の自由をぶった切った。沖縄の新聞社を潰せは如何にも漫画チックで、モモタローにとっては鬼ヶ島の鬼は沖縄の新聞社だったのだ。モモタローと言うよりワルタローと言う感じだ。沖縄に残った貴重なマスコミを潰せと言うのだからブラックタローである。
前々から安倍政権は笑える政権であると感じていた。あまりに時代錯誤で恐ろしい政権と言うより笑える政権に思えてしまう。今回の安倍の仲間達がやらかしてくれた事は、正に笑える政権の面目躍如と言った所だ。中国や沖縄の鬼退治に突き進む安倍桃太郎と仲間達の勇ましさを見事に表現してくれた。やっぱり笑える政権だった。
安倍とその仲間達は如何にも小人である。権力を持って気が大きくなって、マスコミを潰せだの懲らしめろだの一体何を言っているのか。しかし、これは小人仲間の会合だから出て来たもので、公の場所では絶対に言いません。公私の区別はちゃんと弁えてます。大仰に捉えるようなものじゃないんです。モモタローが言い訳したように、軽口であり冗談だったのです。あれは決して言い逃れではなく本心です。小人達にマスコミを潰すような大胆さはありません。経団連に広告を引き上げさせろと言う位が関の山で、本気でそれをやる根性はありません。本物の政治家は性根が据わっていますが、政治屋は浮き草です。
浮き草も沢山集まると丸で大きな塊か島のようにさえ見える。日頃は浮き草の小心者が沢山の仲間達に囲まれるとはしゃぎ出す。小心も何処へやら、天下を取ったように感じる。そういう事で今回のような小心者の大言壮語事件となった訳である。安倍桃太郎と小心な仲間達の正体が見える事件となった。至る所に落とし穴があるものである。権力を持っても権力を維持するのは難しい。やはり権力は本物の政治家でなければ使いこなせない。小人が権力を持つとろくな事はない。安倍政権はボロボロである。
モモタローは民主主義の根幹にあるマスコミの報道の自由をぶった切った。沖縄の新聞社を潰せは如何にも漫画チックで、モモタローにとっては鬼ヶ島の鬼は沖縄の新聞社だったのだ。モモタローと言うよりワルタローと言う感じだ。沖縄に残った貴重なマスコミを潰せと言うのだからブラックタローである。
前々から安倍政権は笑える政権であると感じていた。あまりに時代錯誤で恐ろしい政権と言うより笑える政権に思えてしまう。今回の安倍の仲間達がやらかしてくれた事は、正に笑える政権の面目躍如と言った所だ。中国や沖縄の鬼退治に突き進む安倍桃太郎と仲間達の勇ましさを見事に表現してくれた。やっぱり笑える政権だった。
安倍とその仲間達は如何にも小人である。権力を持って気が大きくなって、マスコミを潰せだの懲らしめろだの一体何を言っているのか。しかし、これは小人仲間の会合だから出て来たもので、公の場所では絶対に言いません。公私の区別はちゃんと弁えてます。大仰に捉えるようなものじゃないんです。モモタローが言い訳したように、軽口であり冗談だったのです。あれは決して言い逃れではなく本心です。小人達にマスコミを潰すような大胆さはありません。経団連に広告を引き上げさせろと言う位が関の山で、本気でそれをやる根性はありません。本物の政治家は性根が据わっていますが、政治屋は浮き草です。
浮き草も沢山集まると丸で大きな塊か島のようにさえ見える。日頃は浮き草の小心者が沢山の仲間達に囲まれるとはしゃぎ出す。小心も何処へやら、天下を取ったように感じる。そういう事で今回のような小心者の大言壮語事件となった訳である。安倍桃太郎と小心な仲間達の正体が見える事件となった。至る所に落とし穴があるものである。権力を持っても権力を維持するのは難しい。やはり権力は本物の政治家でなければ使いこなせない。小人が権力を持つとろくな事はない。安倍政権はボロボロである。